プロフィール④

その③の続きです。

大学卒業後、環境NPOに就職した私。

やってた仕事は、

・環境教育のお手伝い(学校の先生と打ち合わせ、授業準備、授業補佐)

・田んぼの管理と田んぼイベント運営(大学生と企業さん)

・WEB製作

・単発イベントの広報・運営

ビオトープという池の管理(主に水草抜きと生物調査)

・その他、田んぼイベントのお手伝い

助成金の申請書類作成・提出

などなど・・・

水源地で無農薬無化学肥料の田んぼ(写真は昨年のだけど・・・)

汚れてしまい本来の働きができなくなってしまった湖での植物の植え付け

もうね、始まった社会人生活は、

挫折と自己嫌悪の連続・・・というかそれしかなかったです。

虫が特に苦手だった私。

仕事1日目に、田んぼに行って、トンボが飛んでて羽音にひぃ~~!となりながら、

イトトンボというかわいいトンボをひたすら見てやり過ごし。
(苦手な人はおすすめです)

その後の、トンボの幼虫のヤゴという虫を観察する小学校の授業で、

ヤゴ中毒(目をつぶってもヤゴばっかり見える)になったり・・・。

(でも子どもの手前、逃げるわけにもいかず、ここでヤゴは克服)

1年目は、全然仕事がなかったので、

「自分で仕事を見つけろ、先輩についていけ」、

と言われたので、明日の仕事ついていかせてくださいと言って、

ついてくけれど、全然うまくいかなくてごめんなさい、ってなる。

「もっと頭使え、気が回らない、なにやってるんだ」と怒られる日々。

仕事も全然できないから時間かかるし、

まったく自然や生物についての知識がなかったので勉強したり、

(環境教育の野外観察や田んぼイベントで役に立てない・でも嫌いなので全く頭に入らない)

とにかく11時くらいまで勉強して終電で家にかえって、

(東京から1時間半以上かけて通ってたので、帰ると12時過ぎ)

次の日6時に起きて行く日々。

日々の仕事も田んぼの農作業とかで肉体労働だったので、頭も身体も常に限界状態。

毎日、行きの電車の中で、無意識に

「電車から飛び降りて骨折したら仕事休めるかな・・・」

と思いながら行く日々でした。

(ああ、書いててつらい・・・涙。っていうかやばい。笑)

暗くてすいませんー!せめてきれいな写真をどうぞ♪

ここはもうやめようと思って、1年後に「やめます」と言うのですが、

あと1年は居てくれと言われ、

ここから、なぜか仕事が1つ任されるようになり、私も腹が決まり、

なぜか急成長する。

仕事自体は、世界でここだけしかやっていない世界最先端の仕事で

(仕事は現場なのですが、理論・考え方がね)、

たぶん時代はあと2~30年しても追いつかないんじゃないかというくらい

革新的で新しいことをやっていたNPOで、

また環境問題の解決には、1番の近道のことをやっていたところなので、

やりがいはものすごくあったのです。

だけど、毎日「電車から飛び降りたい」は続いていたし、

でももう気持ちも体も無理だったので、1年後にはやめるのですが、

なぜかここで、そのNPOが秋田でも展開していた事業に参加することになり、

秋田に住むことになりました。

秋田はほんとに大好きで、今でも住みたいくらいです^^

この写真は2年前から住まわせてもらって家の前の景色。

目の前田んぼで、空気も水も食べ物も星もきれいで、自然の音しかしなくて、

ゆっくり時間が流れていて、人も優しくて、最高でした。

都会での生活したしたことなかったので、

秋田での生活させていただいて、私の価値観はガラッと変わりました。

ほんとにありがたかったです。

1番大きかったのは「足るを知れた」ことかなぁ。

東京だとお店が星の数ほどあって、その中から選ばなくちゃいけないけれど。

秋田にはお店が少ない。

でも、人が生きるのに、

好きな雑貨屋さんが1件あれば十分だし、

そんなにモノはたくさんいらない

おいしいレストランも数件あれば十分だし、

大きい本屋さんが1件(秋田駅ジュンク堂があった)と

新鮮な農産物と、住める家と、自然と、

友人が数人できればそれだけで十分だと知れたのが大きかったです。

一気に肩の力が抜けて楽になりました。

(でも今と比べたらまだまだまだまだ体に力入ってる時期ですが)

景色がとにかくきれいでねぇ。毎日感動でした。

冬の田沢湖。この日はもう美しいのなんの。龍さんが住む湖です^^

雪の冬も、わたしは関東の乾燥した冬よりも過ごしやすい、と思いました。

(やっぱり気持ちは落ちるのですがね・・・)

秋田は少子高齢化日本一の県で、地域活性化が大きな課題でしたが、

なかなか貢献できず、でした。

今から思えば東京からぽっと来た私が何もできるはずないし、

何かされても迷惑だったと思うのですが、

当時の私は自分をおざなりにして、社会貢献しなきゃ!と思っていたので、

迷惑だったんじゃないかなーと今思い返すと反省しきりです・・・。

大正時代の古民家に住まわせてもらったのも、私の大きな財産です。

当時の私は、

自分のことが受け入れられない=他人のことが受け入れられない

ので、周りが敵と味方に分かれてて、それはつらかったです。

(今から考えると、とても失礼な話ですが)

人生の勝ち負けにもどこかこだわっていたし、

すべての価値や行動は「他人にどう思われるか」で決めてたから、

ほんとうにつらかったです。

やっぱりこの時期も定期的に飛び降りたいと思っていました・・・。

(どんだけ世の中から逃げたかったんだw)

あと2年目に秋田で、ある体を触ってメッセージを受け取る方に

「あなたやりたいことやってない。他人の合わせてしまうのね。やさしいから。」

と言われ、頭をハンマーで殴られたような衝撃を受ける。

それから「ものづくりがしたい。職人になりたい」

という気持ちが抑えられなくなりつつも、

他人にどう思われてるかで自分の行動を決めていたので、

2年目過ぎたころ、秋田で骨をうずめようと腹を決める。

秋田で生きてくために、団体を立ち上げようとしていたところ、

その前にのんびりしよう、と実家に帰ってきてた時に、

前務めてたNPOからお声がかかり1年復帰することになります。

秋田と茨城の往復生活が始まり、

かなり体がきつくていよいよ体を壊し、

また、気持ちも上の書いたように常に自分を責めてる&他人の価値観で生きてたので、

限界になり。

ある日、頭が真っ白になって回らなくなり、

仕事に行こうとすると涙があふれて体が動かなくなり、

精神科に行ったところ、3段階あるうちの2段階目のうつ病だと言われ、

退職しました。

(自分を守るために、頭は思考停止するんですね~・・・)

この頃は、今の旦那ともう付き合っていて一緒に住んでいたのですが、

旦那が返ってくる夜まで寝てたり、

ゲームをひたすらやったり(FFT。とFFⅥ。笑。)しながら、

半年ぐらいすごしてました。

この時精神科には1度しか行かず、薬はもらってきたのですが、

頭が真っ白で働かずにやっぱり飲まなきゃだめだよね・・・と思っていた私に、

旦那が「薬は飲むのやめよう。」と言ってくれたのは、今でも感謝してます。

と超~~~~~~~~~~暗い期間を、

ばばばっと書きました!
(秋田では明るかったですよ♪)

⑤に続く(でも、も少し暗いかも・・・!)

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